無差別な悪意

最近、理解の度合いを超える悪意を、見たり聞いたりする事があり、心が萎縮してしまっているろこです。
人の会話だったり、ネットでの無責任な発言だったり、誰向けなのか判らないテレビ番組だったり……。そんなに人に悪意をぶつけなくちゃ、自分の立ち位置保てませんか? そこまでして保持したい立ち位置がそれですか? なんか悲しいのを通り越して、虚しくなってしまいます。

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なんじゃこりゃー。みんな仕事しようよ。目の前の仕事。みんな自分を見ようよ。冷静な自分を。出来る事からでいいやん。他人と比べなくていいやん。とりあえず無理して変な俺&私宗教作って張り合うの止めようよ。目の前にある問題を少しずつ解決して行けば、何かが出来るし、そこから自分の立ち位置見えてきたりするかもしれんやん。
ろこは「自分らしく生きていけたらなぁ」と思うのですが、東京に越して来てからの3年間、「羨しい」「疎ましい」「生意気」という、ほぼ悪意に近い感情をぶつけられたのを身を持って感じてきました。大阪の頃も、同じような事が無かったとは言いませんが、東京は酷い。メディアに踊らされて鬱屈した妄想が暴走して、手当たり次第の悪意を、気に入らない相手にバラ蒔いているように感じます。確かにろこは弱い駄目人間だったので身も心も壊れましたが、そんな事をしてまでろこを排除した彼女は、果たして何に勝ったのでしょうか? ろこには理解不能
もっと自分自身と付き合おうよ。保身の為に他人に迷惑かけるの止めようよ。まずは自分の出来る事をしていこうよ。他人を蔑んだって何も出てこないよ。
馬鹿みたいに嬉しがって騒いで人を傷つけるのは、もう止めようよ……。