生きるための休養。

「休養宣言」をしてからまだ5日間しか経っていないのに、すでに「休養宣言」をしたことを後悔しているろこです。わひょ。
なんでしょう。子供の頃からいろんなしがらみがあったり、社会人になってからはしがらみ+忙しい毎日で、30年間いろんなことにとらわれて、自分のことなんて考えることが許されなかった人生で、またそれが当然のことだと思っていたのに、突然「あなたらしく生きなさい」と言われても戸惑う毎日です。自分の健康に関してもそうで、今までならろこ自身の身体を労わることなんて重要視されていなかったのに、今じゃ医師はもちろんのこと、両親や知人にまで「自分の身体を大切にしなさい」なんて言われても、一体どうすればよいのか判りません。わふぅ……。
医師や両親、知人は「先ずは休んで、病気を治して、健康になってから働きなさい」と口をそろえて、今、働くことを許してくれないのですが、ろことしては心身ともに壊れてしまおうと、何も考えずがむしゃらに働いている方が全然楽だなーと思ってしまいます。去年の夏までは善悪は置いておくとして、とりあえずあるしがらみのおかげでろこに存在意義がありました。今もそのしがらみが全て消えた訳ではないのですが(ロングスパンで考えると数十年後の方がしがらみが大きくなるかもしれません)、あるしがらみによって生かされていたのです。30年以上のしがらみが急になくなった今、生かされている理由がなくなった今、「あなたはあなたの人生を生きなさい」と言われても戸惑わないではいられないですよね。せめて健康ならばどうにかなったかもしれませんが、病気をしているとなると余計に……。
先月、内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』の3月19日のエントリ「あなたの隣人を愛するように、あなた自身を愛しなさい」を拝読して、いろいろ過去を振り返ったのですが、ろこは高校はカトリック女子校に通っていて確かに「先ずは神を愛し、そして自分を愛するように隣人を愛しなさい」と教わりました。しかし内田さんもブログで書かれているように、人は自分自身を愛することは難しいと思うのです。ましてやろこの場合、子供の頃からいろいろなしがらみがあり、ろこ自身を優先にするということは許されませんでした。また両親からは「人の痛みの判る人間になりなさい」と教えられ、ろこ自身その考えはとても素晴らしいと思うのですが、他人の痛みを判るためには少なからずとも自己犠牲が伴うと思うのです。よく「自分を愛せなくて他人を愛せるはずがない」と言う人がいますが、果たしてそうでしょうか? 高校時代にもっと宗教の授業中に勉強をしておけばよかったと後悔するのですが、確かキリスト教では、神はまず人間を愛しておられると思うのです。神は神自身を愛する前に人間を愛されたのです。ならば我々は「先ずは神を、そして隣人を愛せよ」でいいのではないかと思うのです。宗教をしていなければ、ただ「隣人を愛せよ」になるでしょうか。なにも自分自身を愛せなくても隣人を愛することは出来ると思うのです。
――ちょっと話がずれてきたかも知れません。ろこは30年間のしがらみがなくなった今、存在意義がなくなった今、「自分を生きる」ということにとても鈍感です。にも関わらず、両親や知人、医師からは「自分自身を大切に生きなさい」と言われます。確かにとてもありがたい言葉ではあるのですが、それだけではろこは生きていく意義を見出せなければ、生きていく自信も無いのです。でも生きなければ、家族や知人を悲しませることになります。「人の痛みを判る人間になりなさい」と教わり、またその考えを素晴らしいと思っているろことしては、家族や知人を悲しませる行為は許されないことです。そんなことを悶々と悩んでいるとき、マザー・テレサについて書かれた本を読んだのですが、マザーは「傷つくまで愛せよ」と仰っていました。ろこはマザーについてあまり知識がないので、どのような文脈でそのような発言をされているのかを完全には理解できていないのかもしれないのですが、その一言でろこは少し生きることに前向きになれたような気がします。「自分を愛せなくて他人を愛せるはずがない」なんて考えは以ての外で、内田さんの仰る「あなたの隣人を愛するように、あなた自身を愛しなさい」は確かに理想なのかもしれません。でも過去にいろいろなしがらみがあったろこには、まだ難しい考えです。でもマザーが仰る「傷つくまで愛せよ」は、けしてろこがろこ自身を愛せなくてもただ隣人を愛するだけでも生きていいのだと思わせてくれた一言でした。
医師は「治療している今が一番苦しい時だ」と仰いました。今でもろこ自身の体調なんて無視して、休養せずに、何も考えず、ただがむしゃらに仕事をしてぼろぼろになって、それで死ねたらどんなに楽だろうと思っています。でもその考えはきっとろこの我が侭なのでしょう。ろこが生きることによって、どれだけの方々を愛することが出来るのかは判りません。ろこの愛はけして大きいものではないですが、ろこが生きていることで、あなたを愛することで、少しでもあなたが幸せに感じる瞬間があるのならば、ろこは生きてみようと思います。わふ。