休養宣言から一ヶ月を経て思うこと。

さて、今日は病院に受診してきたのですが、ここ最近の生活や体調などを先生に話したところ、よくなってきてはいるとのことでした。わふ。確かに、それはとても喜ばしいことなのですが、ろこ的には未だに自分が病気であるという自覚もなく、でもやはり病気らしいので、ゆっくり休めと言われているので、仕事も辞めて自宅療養している訳ですが、未だに休めと言われてもどうのように休めばいいのか判らず、ある時は動物園の熊のように部屋をウロウロと歩いたり、明らかに体調が悪いのが自覚できるときは臥せって過ごすしかなく、でもこれでいいものなのかと悶々とした毎日を過ごしています。
そんな話を先生にすると、目に見える病気じゃない分、病気である自覚を持つことは難しいかもしれないけれども、病気であることは事実なので、身体が動くときは動いてよしとすればいいし、疲れたときは寝る、そして寝ることはけして悪いことではないのだと仰っていました。ふむん。やっぱり休むって原始的に本当に寝るしかないんですね。ただろこにとってはこれが一番厄介な問題であって、過去の長年のいろいろなしがらみであったり、社会人になってからは基本忙しい職場でしか働いたことのないろこは、寝て日々を過ごすというのは物凄く抵抗があるのです。とはいいつつ、最近は本当に身体が重くだるいので臥せってばかりの日々ですが……。わひょ。
病気がよくなってきているとの話が出たので、社会復帰の話をしたのですが、先生は週2〜3日で1日4時間程度の仕事から始めなさいと仰るのですが、元々ろこはグラフィックであったり画像解析などデスクワークの仕事を主にしてきたので、デスクワークでその条件って難しいですよね……。あとは学生時代には書店やパソコンショップで働いていたので、接客業の経験がなくはないのですが、今度は体力的に無理ですし、となると無理をしてでもフルタイム勤務で普通に就職活動でも始めようかとも思うのですが、それはまだ早いと先生に止められました。確かに1日外出しただけでも2〜3日は寝込んでるような状態ですから、やっぱり無理なのかなぁ……。でも1日あたりの仕事の密度でいえば、短時間集中の仕事よりフルタイム勤務の方がろこ的にはいいんじゃないかとも思うのですが、職場にもよりけりですかね……。それ以前に仕事を辞めて自宅療養しつつも単発的に仕事をしてきたとはいえ、簡単なデータ入力などの仕事しかしてきてないので、グラフィック関連に関してはブランクが大きすぎて感を戻すのに時間がかかるでしょうし、未経験職を考えた場合は年齢的に難しかったり、何らかのキャリアを持っていればいいのですがろこにあるのはブランクなので、これまた難しかったりします。わふぅ……。安西先生…仕事がしたいです…。本当に。
そんな感じに社会復帰の話をつらつらしたものの、でも診察の最後にはやはりまだあまり焦らずゆっくり休養することを勧められました。あと「自分の心を傷つけるのは止めましょうね」と言われて、一瞬何のことだか判らなかったのですが、どうやらろこは相変わらず今の状況下の自分を責め続けているようで、それが一番よくないとのことなのかな? 客観的には判ってはいるのですが、いざ自分のことと考えるとそれって難しいかったりするのです。わふぅ……。
――なんだかんだと不景気なことを書き綴ってしまいました。折角ろこのブログを読んでくださったのに不愉快な思いをさせてしまったかもしれません。すみません。確かに病気の自覚のない自宅療養の生活は辛いこともあったりしますが、でもそんな日常の中でも、例えば朝起きて鳥の囀りを聴いて幸せな気持ちになったり、野良猫たちの気ままな行動をベランダから見て微笑ましく思ったり、通院や買い物中に出会う見知った犬たちの様子を見て微笑ましく思ったり、体調のいいときは本を読んだり、音楽を聴いたり、テレビを観たりして愉しむこともありますし、あとはたまにかかってくる姪や両親の電話に励まされることもありますし、長い付き合いの知人もいろいろ心配してくれたり、励ましてくれたり、助けてくれたりしますし、また知人のお知り合いの方々も素敵な方ばかりでろこはその方々をとても尊敬しているのですが、その方々にお目にかかれたりすると、ろこはとても幸せな気持ちになります。わふ。
今月5日(日)に「生きるための休養。」というエントリを書かせていただいたように、ろこは最近まであるしがらみによって生かされてきました。なので、ろこという人間は、何かに特化した能力はないですし、優秀でもないですし、本当に何も持っていない人間です。そんなろこなので、30年間のしがらみがなくなった今、存在意義がなくなった今、何の能力もない自分を自覚している今、「自分を生きる」ということにとても鈍感です。でも反面、実はいつも何かがしたいって思っていて、頑張ろうって思っていて、誰かのために役に立ちたいとも思っています。そんなことを考えるとき、マザー・テレサの「傷つくまで愛せよ」という言葉を思い出します。ろこは今までネガティブな意味で生かされてきました。でも最近では両親や姉家族や知人・友人や知人のお知り合いの方々に、たくさんの幸せをいただけていると感じることがあります。その幸せを実感するとき、前回のエントリに書かせていただいたことを繰り返すようですが、ろこが生きることによって、どれだけの方々を愛することが出来るのかは判りません。ろこの愛はけして大きいものではありません。でもろこが生きていることで、あなたを愛することで、少しでもあなたが幸せに感じる瞬間があるのならば、ろこは生きてみようと思います。ろこがそう思えるようになったのは、あなたがろこに幸せを与えてくれたからだと思います。今はポジティブな意味で生かされているのかもしれません。何もないろこではありますが、そんなろこでもお付き合いくださる全ての方に感謝したいと思います。ありがとうございます。わふ。