ここ数日日記。

どうもろこです。昨日7日(火)に大阪から東京に戻ってきました。
今回のエントリでは、ろこ自身、父の入院に関しまして気持ちの整理をつけること、また『ろこ日記。』を読んでくださり、ご心配くださった皆さまに現状のご報告させていただこうと思います。ただまだ気持ちが動揺しているため、いつも以上にまとまりのない文章になったり、過去のエントリ(「父が入院。」「近況。」)と内容が重複いたしますが、ご容赦いただけますと幸いです。
ろこが姉から父が心嚢液貯留で某総合病院に入院していると電話で聞かされたのは6月26日(金)の夜なのですが、実際に父が入院したのは6月24日(水)の夜とのことでした。父は入院する数日前から微熱が続き、他にも倦怠感を感じていたらしく、掛かり付けの内科に行ったところ、掛かり付けの内科医からCT検査をするように言われたのですが、その内科にはCTが設備されていないため、近くのCTが設備されてある病院を紹介され、CT検査を受けに行ったようです。そして6月24日(水)にCT検査を受けた病院へCT画像を受け取りに行き、そのまま掛かり付けの内科に直行したようです。すると掛かり付けの内科医がCT画像を見るなり動揺し慌てて、「当院で治る病気ではないので、一刻も早く専門の診療科のある大きな病院へ入院するように」と幾つかの総合病院を紹介されたようです。でもその内科医が医者にも係わらず、あまりにも動揺し詳しい説明を何もせずにただただ「今日中に入院しろ。○○病院、△△病院、□□病院……」と急かす上にいろいろな病院名を挙げるのですが、事情がよく把握できない父は自分の身に何が起こっているのかは判らないものの、でも大変らしいということと急かされているので、「私には状況がよく判らないので、医者であるあなたが決めてください」とお願いしても、その内科医は未だ動揺したまま「そんなことを言われても困る」とのなんとも頼りない返答だったので、父は父で困り果てて「それならば家から近い病院を紹介して欲しい」と話し、現在入院している某総合病院に入院することになったとのことです。詳しいことはあとで書かせていただくのですが、確かに心嚢液貯留の量が尋常じゃなかったので、その内科医もことの重大さに驚いたのかもしれませんが、それにしたって医者は医者です。病気で不安なのは患者の方なのに、現在どのような状況にあるのかの説明もせず慌てふためくとはなんて藪医者だと、後日、父と話したときに父が怒っていました。ろこもまったくもってそう思います。またそのときにろこが傍に付いて居られたらよかったのにとも思いました。わふぅ……。
入院した当日6月24日(水)に関しては父自身もよく事情が把握できていない上に、入院した時間が夜遅かったこともあり、循環器専門医が居なかったのかよく判らないのですが、宿直の医者が対応したようです。でもろこが姉から電話で説明を受けた6月26日(金)の時点では、既に症状は心嚢液貯留での入院だということが判り、また幾つかの検査も行われていて、それらの検査結果が出るのには1週間程度かかることと、また現状できる治療は点滴による抗生物質投与で、もし1週間経過を見て症状の経過が芳しくなければ心臓のまわりをとりかこむ袋である心嚢に針を通して心嚢液を取り出す処置(心腔穿刺)をするとのことでした。ただ処置自体は簡単らしいのですが、まず心臓付近に針を刺すという処置なので確率は限りなく低いとはいえやはりリスクはあるとの説明がされていたようです。
姉は姉なりに担当医から聞いた説明をろこに一生懸命伝えてくれていたのですが、聞き慣れない症状な上に場所が心臓ということもあり、ろこ自身とても不安になりネットでいろいろ調べたのですが、調べれば調べるほど不安になったので、姉からの伝聞では担当医は「1週間経過を見て症状の経過が芳しくなければ心腔穿刺をする」と言っているのですが、経過の次第によっては1週間を待たずに心腔穿刺を行うこともありえる訳で、そう思ったら早く父の元に行かなければと6月27日(土)の夜に明日大阪に行くよう新幹線とホテルの手配をしました。
また翌日の6月28日(日)の朝一には駄目元で父の入院先である某総合病院に電話してみました。すると日曜日にも係わらず担当医がいらっしゃって、ろこが東京に住んでいる娘であることと「今日大阪に向かうのですが、父と同居している家族に既に父の症状を説明してくださっているかと思いますが、いまいち状況が把握できないので父の症状についてお話を伺う時間をいただけますか?」と訊ねると、「病院へは何時に来られますか?」と訊ねられたので「既に新幹線のチケットを購入してしまっているので、早くても19時になります」と答えると、「うーん。夕方だったら直接お話できたのですが、19時ですか……」と少し考え込まれ、とりあえずろこを安心させるためなのか姉が話してくれた内容とほぼ同じ話をして下さり、詳しいことは翌日6月29日(月)の夕方以降に症状を伺うお時間をくださるとのことで電話は終えました。
担当医との電話のあと、急いで最低限の荷物の準備を整え、新幹線で大阪に向かい、そのまま病院へ直行し父の病室へ向かうと、すでに姉家族(母、姉、義兄、姪2人)が病室に居て、急いで父の姿を見ると点滴のチューブや心電図、酸素吸入マスクなどをしていて、そして呼吸が苦しそうで息もたえだえでまともに会話ができる状態ではありませんでした。5年以上前の話になるのですが、ろこが大阪の実家に住んでいた頃、父が突然リビングで意識を失って倒れたことがあり、ろこは咄嗟に母に「お母さん! 早く、救急車! 早く!!」と叫びつつ、冷凍庫からアイスノンを出して後頭部を冷やし「お父さん! 判る? ひろこよ? 聞こえる? お父さん!!」と父に声をかけ続け、今思い返せばあれで正しかったのだろうかと思うような応急処置をしたときがあり、幸いにしてそのときは数分後に意識を取り戻したのですが、今回の父の姿は父の意識はあるもののあまりにも痛々しく、あのとき以上のショックを受けました。病院の面会時間は20時までなので後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにし、明日担当医のお話をちゃんと伺うためにもゆっくりと休みたかったのと、あまりの痛々しい父の様子にショックを受け食事どころではないろこは、できればホテルで休みたかったのですが、姉家族が夕食を誘ってくれたので無下に断る訳にもいかず、姪(小学1年生)のリクエストでサイゼリアで食事をすることになりました。でもろこは最近あまり食べない上に、今はまったく食欲はなく、かといって何も食べないのも姉家族に気を遣わせるので、無難にサラダを食べました。そのあと姉に車でホテルまで送ってもらい、お風呂に入らなくてはと思いつつ、シャワーを浴びる気力もないのでそのままベッドに横になったのですが、かといって上手く眠れず、朝までまどろんでは目が覚めるを繰り返していました。
翌日6月29日(月)の朝は、父自身は内心はどうあれ表面上は前向きに振る舞っているのに、ろこが弱気じゃ駄目だと思い、また夕方以降には担当医に父の症状の話を伺う約束をしたのていたのでちゃんと朝食を摂り、また疲れていたので【ドトール】で黒糖ラテを飲んで糖分補給をしたり、せっかく大阪に来たのでたこ焼きを食べたりして、病院へ行くまでの時間を潰しました。わふ。
記憶が少し怪しいのですが、通常の面会時間は14時からなのですが、29日(月)は主治医が父の容体の経過の説明を13時くらいにするとのことで、面会時間よりも早い目に病院へ向かったと思います。主治医の説明によると、点滴による抗生物質投与の治療を1週間して経過がよければ特に何もしないとのことだったのですが、経過が芳しくない状況だったので、1週間を待つことなく心腔穿刺を集中治療室で行うことになりました。ろこは直接聞いていなかったので詳しいことは判らないのですが、母曰く心嚢液の俳液は数十ミリリットル程度との説明を受けていたそうのですが、処置後主治医の話を伺うと1リットルも溜まっていたそうです。心臓に無駄な心嚢液が1リットルも溜まっていたなんて考えるだけで恐ろしいです。処置は30分から1時間程度で終わるとの説明でしたが、実際には1時間半ほど行われました。部分麻酔での処置ですので意識がはっきりしている父は予定より長丁場の処置に不安だったと思います。ろこは処置が終わり集中治療室のベッドで横になっている父の手を握り「お疲れ様。よく頑張ったね」と声をかけると、「大丈夫、大丈夫。なんてことはない」と父は笑顔を作りながらろこの手を強く握り返してくれました。看護師も「大変でしたね」と声をかけてくださるほどだったので、本当に大変だったのでしょう。でもいつまでも集中治療室に居る訳にはいかないので、後ろ髪を引かれる思いで父に「今日はゆっくり休んでね。あとご飯も食べられるようだったら、ちゃんと食べてね」と言って、主治医、担当医、看護師に挨拶をして集中治療室をあとにしました。
するとしばらくして集中治療室から主治医がろこたちのところにやってきて、処置についてのお話があると声をかけられました。主治医の説明によると、処置自体は幸いなことに成功したのだが、俳液した心嚢液が正常な色ではなく血液の色で、詳しいことは検査してみなければ判らないのだが、主治医の過去の経験上、悪性の可能性が高いとの説明でした。これからは俳液で何の病気が原因で心嚢液貯留(それも血色)になったのかの検査をするが、検査をしても原因が判らないこともあるとのことでした。ただ原因が判らなくてもそのまま快方に向かうこともあるとのことでした。
主治医と別れ、母が「晩御飯はうちで食べていきなさい」と言うので、姉の車が止めてある駐車場に向かう途中、ろこは何気なく「心嚢液が血の色ってどんな色なんやろう?」と呟くと、集中治療室で父のベッドに向かった際、母と姉はろことは反対側に居たのですが、そこで血の付いた容器があったので「なんだろう?」と思いつつ見ていたそうなのです。母はあまりよく見ていなかったそうなのですが、姉は気になっていたらしく、本当に普通に真っ赤な血の色の液体だったそうです。ろこはそれを見ていないので、先ほどの主治医の「悪性」という言葉と、姉の「真っ赤な血の色」という言葉が頭から離れず、ずっと胸がざわついていました。「悪性」と言われてもろこたちは病気に詳しくないので、まず連想するのはやはり癌なのですが、姉が運転する姉宅に向かう車の中で不安に耐え切れず思わず「悪性ってなんやろう……」とふと口にすると「悪性って言われても何か判らんし。リウマチだって悪性って言うし」と姉が言うのですが、ろこはやはり嫌な考えばかりが浮かんでいました。でもそれを一言口にすると、本当にそうなりそうな怖い予感がしたのでしょう。母や姉はそれ以降は父の話はせずに、ずっと小学1年生と1歳8ヶ月になる姪の話をしていました。もちろん姪たちは可愛いですし、微笑ましい話がいろいろあるのは判るのですが、そのときのろこは父のことしか考えられませんでした。
姉宅で義兄や姪たちと一緒に晩御飯を食べ、そのあと義兄にホテルまで車で送ってもらい、昨日はあまりにも疲れていたためお風呂にも入らないままだったので、今日はさすがに入らなくてはと気合を入れてお風呂に入ることにしました。本当はゆっくりと湯船に浸かって疲れを癒した方がいいのでしょうけれど、「悪性」と「真っ赤な血の色」のことが気になって、いつもは長風呂のろこなのですが、ゆっくりと湯船に浸かることなくお風呂を上がりました。ベッドに入ってからも父のことばかり考えていました。ただろこにできることは、今はいい方向に向かうことを祈ることのみでした。ろこはまだ父のいろいろな話を聞き、そしてその度に父を誇りに思いたいのです。もしかすると父も予定よりも長丁場の処置だったので、何か不安な気持ちになっているかもしれないと思うと切なくなりました。せめて今日だけは父には先のことを考えず頑張った自分をめいいっぱい誉め、またちゃんと食事が食べられて今夜はゆっくり休めているといいな、などと思いながら就寝しました。
心腔穿刺の処置が行われた翌日6月30日(火)は、看護師の説明では昼過ぎには父は集中治療室から病室に戻っているとの話でしたので、何時なら病室に向かっていいのか判らないろこはとりあえず通常の面会時間の14時に父の病室に向かいました。するとまだ母や姉は病室に来ておらず、父は父で処置後の疲れと39度近くの高熱でぐったりしていて、また処置をした傷口が痛くて眠れなかったらしく、しばらく眠っていました。たまに熱で浮かされて何事かうわごとを言っていたり、ふと右手を見ると父はここ数年、書道の勉強に励んでいるのですが、右手が筆を動かすように動いていたので、夢の中でも書道に励むほど熱中しているのだなぁと感心しました。でもたまに傷口が痛むのか空を掴むように手を動かすので、その間は父の手をずっと握っていました。夕方近くになると痛み止めの点滴と熱冷ましのロキソニンが効いてきたのか父は目を覚まし、まず母と姉がまだ病室に来ていないことを怒り、本来なら今日も集中治療室に居なければならなかったことや、昨夜からお昼に病室に戻るまでの経緯などをぷんすか怒りながらいろいろろこに話してくれました。またそれ以外にも、日頃の家族に対する愚痴や父なりの人生哲学、勉強中の書道についての話なども聞くことができました。心腔穿刺の処置が行われる前は呼吸が苦しそうで息もたえだえでまともに会話ができる状態ではなかったので(昨日の主治医の「悪性」という言葉と「血色の心嚢液」が気にならないではないですが)、普通に会話できるようになっていたのはとてもよかったです。わふ! 17時頃でしょうか。母と姉が姪2人を連れて病室にやって来たので、看護師に家族が揃ったことを伝え、担当医に病室に来ていただき、今後の説明を受けました。父は過去に造影剤の使用で副作用が出たことがあるのですが、それでも造影剤を使用してのCT検査をした方がいいとのことと、あわせてPET検査もした方がいいとの説明でした。ただ検査結果は数日とも1週間とも言い切れないとのことでした。ろことしては、せめて検査結果は聞いて帰りたいので、しばらく大阪に滞在することにしました。ホテルは明日7月1日(水)チェックアウトにしていたので、明日からは姉家族宅にお世話になることにしました。
7月1日(水)は面会時間の14時まで、先日食べたたこ焼き屋さんとは違うたこ焼き屋さんでたこ焼きを食べたり、ホテル近くの【SoftBank】ショップで父の第2世代の「かんたんケータイ」を第3世代の「かんたんケータイ」に機種変更したりしました。面会時間になり病室へ向かうと、父は午前中に既に造影剤を使ったCT検査を済ませたとのことでした。それを聞いたろこは、ろこ自身も過去に造影剤を使って検査をした際、蕁麻疹と全身倦怠感の副作用が出たことがあり、副作用の怖さを知っているので心配になり父の身体を見てみると腕が少し赤く腫れていました。父に「それ、蕁麻疹じゃないの?」と訊くと、父は「単なる注射の傷や」と言って、ろこの話を取り合ってくれませんでした。過去に造影剤の副作用の経験があるろこは絶対に蕁麻疹だと思ったのですが、当人の父はもちろんのこと、母も姉もあまり気にしてくれないので、とりあえず「少しでも赤みが広がったり気分が悪くなったら直ぐにナースコールするんよ?」と父に言い聞かせました。わふ。そして父に早く見せたかった新しい「かんたんケータイ」を父に渡すと、初め父は「前の方がよかった」とぶーぶーと文句を言っていたのですが、以前よりも操作が簡単であることを説明すると次第に納得し、またカメラ機能が付いていることを知ると喜んでいました。父は昔カメラが趣味で、ライカのカメラなどで撮影をしていたようです。喜んでくれてなによりです。わふふ。この日は主治医、担当医ともに特に話はなく、父の着替えを済ませ、新しい携帯電話を渡して、姉宅に帰ることになりました。姉宅についてからは、母も姉もろこが体調が悪いのを知っているので、晩御飯の時間になるまで横になっていなさいと言われたのでお言葉に甘えて横になることにしました。ただ1歳8ヶ月の姪は知らない人が自分の家で寝ているのが不思議なのでしょう。ずっとろこが横になっているのを眺めながら、ろこの周りをててててと走り回っていました。とても可愛らしいのですが、気になって落ち着いて眠れません。わふぅ。
7月2日(木)も3日(金)もろこ的には父の面会に行きたかったのですが、ろこは疲れが出るとふらつきと転倒の症状が出るので、母曰く、そんなろこを支える自信はないので、家で大人しく寝てなさいと言われました。確かに少し疲れが出ていましたし、倒れないとも言い切れないろこは、母に迷惑をかける訳にもいかないので大人しく姉宅で寝て過ごすことにしました。またその事情を父の携帯電話にかけて話すと、父も子供たちが居ない間にゆっくりと休んでいなさいと言ってくれたので、少し寂しい気持ちになりながらもお言葉に甘えることにしました。すると3日(金)の夕方に母宛に担当医から電話があり、電話の内容を母に聞くと、担当医が「東京に住んでいる娘さん(ろこ)が非常に心配しているので、検査結果の報告を休日返上で明日7月4日(土)に説明をしてもいい」とのことで、母は「そこまでしていただかなくていい」と断り電話を切ったそうです。またよくよく話を聴くと、担当医だけでなくわざわざ主治医も休日返上でろこに経過報告をしてくださるとのことなので、「もしかしたら緊急性があるのかも知れないから電話で確認して」と母に頼むと「自分でかけなさいよ」と言われてしまいました。まぁ確かに母に聞いてもらうよりろこが直接話を聴いたほうが早いので、担当医もお忙しいのだろうなぁと思いつつ確認のため病院に電話をすると、特に父の容体に緊急性はなく担当医があくまでも東京から来たろこが大変だからとのお気遣いをくださったようです。また簡単に検査結果の現状も説明してくださり、詳細は7月6日(月)の17時半以降に説明いただけるとのことでした。主治医と担当医のお気遣いに感謝です。わふ。ろこと担当医との電話の内容を母に話すと母は「○○先生(担当医) は、あんたには詳しく話すのね」と微妙な顔で言ってました。それは先ずろこがわざわざ東京から来ているのを気にかけてくださっているのと、またろこ自身、過去にいろいろな病気をしてきているので、父の気持ちも判りますし、医師との会話も慣れているので、担当医も病気に詳しそうなろこに話した方が早いと思っているのだと思うのです。お気遣いに関してはありがたい話ではあるのですが、ろこが病気慣れしているので話し易いというのはあまり自慢になることではなさそうですね。わふぅ。
主治医も担当医も不在の7月5日(日)に、案の定、父に造影剤の副作用である蕁麻疹が出たそうです。だからろこは検査した当日に既に蕁麻疹が出てるよってあれほど父に言ったのに……。どちらにしても明日7月6日(月)の夕方には主治医と担当医の説明のため病院に行く予定でしたが、ろこは面会時間が始まる14時に病院に行くことにしました。
7月6日(月)に父の病室にいくと、午前中はひとりでいろいろと検査をして回ったそうです。久しぶりに歩き回ったのと検査待ちで疲れたとのことで、父は疲れたので夕方まで寝るとのことでした。ろこも今日は姉宅から暑い中をひとりで電車に乗って病院へ来たので、少し休んでおこうと夕方までお昼寝することにしました。わふ。17時半には母も姉も姪たちも病室に揃い、ナースセンターにそのことを伝え、主治医と担当医を待つことにしました。しばらく待つと主治医と担当医が来られて、主治医の説明によると造影剤を使用したCT画像を見ても血液検査の腫瘍マーカーを見ても今のところ腫瘍はみられないので、その点は安心していいとのことでした。ただ今までの検査で悪い結果が出ないことは確かにいいことではあるのですが、心嚢液が増えた理由と心嚢液が血色だった理由が判っていないのと、また心嚢液が血色というのはやはり悪性の可能性が高いので(例えばリンパ腫や白血病など)今後は主治医の担当外である血液内科と相談して不安要素を潰していく検査をした方がいいとのことでした。ただろこが初めから気になっていた父の容体の急変の心配はないとのことなので、「東京に戻られても大丈夫ですよ」とお気遣いをいただきました。わふ。
ろこ自身も病院通いの身なので、父の容体と母の心労が気になりつつも、そろそろ東京に戻らないと、もしろこの体調が酷くなると逆に姉家族にも心配をかけるので、7月7日(火)に帰ることにしました。その前にゆっくりと父と二人で話をしてから帰ろうと思い、14時に病室に向かったのですが、父は元々夜中に眠れない人なので丁度お昼寝中で、無理に起こすのもかわいそうなのでろこも椅子に横になって父が目が覚めるまで昼寝をして時間を過ごしました。16時頃に父が目を覚ましたので、姉家族の話、母の話、姪たちの話、父の過去の話など1時間半ほどですがいろいろ父と話をしました。これで父の心労が少しでも軽くなってくれれば嬉しいですし、また父の過去の話は初めて聞く話もあり、とても勉強になりました。わふ!
このように現時点ではまだ心嚢液貯留の症状がなくなっただけで、心嚢液貯留の原因も判っていませんし、また今後心嚢液貯留の症状が再発しないとも限りません。今、ろこが思うことはできれば心嚢液貯留の症状の原因が少しでも早く判って、次の治療に向かって、一日も早く父の容体がよくなり、また母の心労もなくなって、両親・姉家族一緒に全快祝いができればいいなぁと願っています。わふ。