音楽と本とコンプレックス。

先日、サカナクション山口一郎さんのある言葉を聞き、また星海社代表取締役副社長太田克史さんの言葉を思い出し、今回のエントリを書こうと思いました。ろこのようにサブカルチャーコンプレックスを抱いているひと、音楽や本に出会いたいけど出会い方がわからないひと、音楽も本も必要としてないけどなにかもやもやしているひと、そんなかたがたにこのエントリが届くとしあわせです。

今年ももう残すところ3ヶ月となりましたが、みなさまは2010年をどのように過ごされましたでしょうか? 2010年。2010年というのは、ろこは難しいことは判らないのですが、でもさまざまな分野でいろいろなことが終わり、いろいろなことが始まる変革の年なのかな、という気がいたします。ではろこ自身になにか変革があったかと訊かれるとだぶん「なにもなかった」と答えるでしょう。ただ素敵な出会いがありました。それはサカナクション星海社。ロックバンドと出版社。今回のエントリタイトルにもある「音楽と本」です。ろこはサブカルチャーコンプレックスの持ち主なので、はっきり言って今回のエントリは自分で自分の首を絞める行為になりそうです。

先日、NHK教育テレビで放送された「佐野元春の『ザ・ソングライターズ』」という番組のゲストがサカナクションの山口さんでした。30分の番組で前編・後編の2週連続放送でした。この番組の概要はwikipediaによると、

シンガーソングライターの佐野元春がホスト役を務め、日本のソングライターたちをゲストに招き、「歌詞」すなわち音楽における言葉をテーマに探求してゆく。

というものです。実際番組を視聴すると山口さんの歌詞作りについての興味深い素敵なお話がいろいろお伺いでき、とても素晴らしい番組でした。今回ろこが番組内で山口さんが話された言葉でとくに印象に残った言葉は「マイナーな音楽をメジャーな音楽にのせて届ける」、「音楽を必要としない健全なひと達に届ける」です。録画をせずに視聴していたため、一言一句山口さんの発言に間違いがないかと言われると、たぶん違うと思います。その点に関してはお詫びいたします。申し訳ありません。ただニュアンスは間違っていないと思いますので、このままろこにお付き合いくださいますと幸いです。

山口さんの発言で「どすん」とろこの胸に響いた言葉は「音楽を必要としない健全なひと達」です。この言葉はサブカルチャーコンプレックスを抱いているろこにとっては救いの一言でした。先ほどからろこは「サブカルチャーコンプレックス」と繰り返していますが、それはなにを指してそのように言っているのかというと、ろこはいままでろこなりにさまざまな音楽や本に触れてきましたが、個々の作品やクリエイターを深く探求することなく過ごしているため、それらについて語る言葉を持っていません。そんなろこがさまざまな作品やクリエイターについて自信を持って語っているかたがたを目の前にしたとき、「ああ、なんて活き活きとされて素敵なのだろう。自分にはないものを持っていらっしゃる」と感じるのですが、そのときこころの中で渦巻く感情は、そんな彼らに対する憧憬と劣等感です。それがろこのサブカルチャーコンプレックスです。

ろこは昔から、せっかく素晴らしい作品やクリエイターを知ることができても、誰かに話す際には「○○、いいよね!」としか言えず、ろこのこころのなかには作品やクリエイターに対する想いがたくさんあるのですが、自分の言葉で自分の気持ちを誰かにうまく伝えることができませんでした。そんなもどかしい想いをしているろこが中学3年生のある日のことです。学校の休み時間に友達と当時好きだったアーティストについて話をしていました。するとある友達に「でもひろちゃん(ろこのニックネーム)、○○のファン、ちゃうやん!」と言われたのです。当時のことをいまの出来事のように思い出せますが、胸に冷たい鋭いなにかが走る感覚がし、一瞬目の前が真っ暗になり、視界が戻ると時間が止まっているように感じ、ろこは世界でひとりぼっちの存在になりました。
当時のろこはたくさんの音楽を聴きたいと思っていて、いろいろなアーティストのCDをレンタル屋さんで借り、カセットテープに録音編集してはたのしむという日々でした。特定の好きなアーティストについては、姉がそのアーティストのファンということもあり、CDはもちろんのこと音楽雑誌も講読していたので、その点に関しては姉のおかげで不自由をすることなく恵まれていた環境にあったと思います。友達と休み時間に話していたアーティストについては、姉の友達経由で知ったアーティストでメジャーデビューのときから大好きでした。メジャーデビュー当初はろこもアルバムやシングルを買っていたのですが、そのアーティストの人気が高まるにつれ、周りの友達がCDや音楽雑誌を買い始めていて、ろこが買わなくてもそのアーティストの音楽や情報に触れることができました。当時ろこはそのアーティスト以外にもメジャーデビューしたての好きなアーティストがいたので、周りの友達が買っているアーティストのCDは買わなくなり、新人アーティストのCDなどを買うようになっていました。そんなろこの考え方は中学3年生のときのある友達に言わせると「本物のファン」ではないらしく、ろこのアーティストに対する「好き」という想いはすべて嘘であると、ろこのしている行為はファンとしてはあるべき姿ではないと、ろこ自身を否定されたような気持ちになりました。彼女の一言があって以降のろこの音楽の聴き方は好きなアーティスト以外のCD、音楽雑誌などはあまり目にしないようになりました。ほかのアーティストを知る余裕が経済的にも精神的にもなくなっていたのです。中学3年生の何気ない彼女の一言は、ろこにとっていまだにサブカルチャーコンプレックスとして残る本当にショックな一言です。

音楽に対するサブカルチャーコンプレックスは先ほどのようなところから生まれました。次は本に関してですが、ろこの家庭は幼い頃から引越しを幾度も繰り返すジプシー家庭でした。幼稚園は2校、小学校は5校変わりました。1年に1回は引っ越していることになるのでしょうか。ろこは生まれたときから病弱で、あまり外で元気に遊びまわれる方ではありませんでした。また何度も引越しを繰り返すのですが、引越しは夏休みなどの長期休暇のタイミングでしていました。病弱で外に出て遊ばない子供が長期休暇のときに引っ越すので、その時々に誰かと一緒に遊ぶことはあっても、ずっと一緒に遊ぶ友達はいない子供でした。そんな子供だったので両親はひとりでも退屈しないで済むようにとお小遣いをくれました。ろこはそのお小遣いで漫画雑誌やコミックスを買っていました。
小学2年生の頃のことです。転校したばかりで休み時間を一緒に過ごす友達もいず、ひとり教室をうろうろしていると人集りのできている席がありました。「なんだろう?」と気になったろこは、ひょいとその人集りに入っていきました。するとひとりの女の子がノートに漫画チックな絵を描いていました。それは彼女のオリジナルキャラクターらしく、いろいろなキャラクター説明をしながら描いていました。ろこはそれを見て衝撃を受けました。いままでのろこにとって漫画はひとりで読み、また幼い頃から絵を描くのが好きだったので、ひとりで絵を真似て描きたのしむものでした。それなのにこの人集りの中心にいる彼女は、自分の絵柄で自分のキャラクターを描いていたのです。そしてそれがクラスメイトの話題になっていたのです。ろこは彼女に出会って、いままで自分ひとりでたのしんでいたことは誰かに見てもらってもいいのだと、初めて気付いたのです。ろこはとてもうれしくなって、まだ一度も話したことのない彼女に「絵を描くのが好きなの?」と訊いたように覚えています。すると彼女は「うん。ボク、絵を描くのがいちばん好きなんだ」と、とても自信に溢れた顔で答えてくれました。彼女はいまで言うところのボクっ娘だったのですが、それにすこし驚きつつも、でもそんな彼女だからこそ頼もしい気持ちになり「私も絵を描くのが好きだから、一緒に描いてもいい?」と話しかけ、一緒に絵を描くことになりました。その日以来、ボクっ娘の彼女を中心としたお絵かき友達ができ、お互いの絵を交換したり、絵を描く以外にも外に出て遊ぶこともありました。漫画という本が絵をひとりで描くだけでなく、誰かに見てもらう楽しさや友達作りを教えてくれました。
それ以降もろこの家庭の引越しは続き、転校先で友達になるのは漫画が好きな友達でした。学年が上がるごとにお小遣いも増えたので、雑誌は姉が『なかよし』でろこが『りぼん』を買い、それ以外にも読みたい漫画雑誌やコミックスがあると、ろこはお小遣いのすべてを本に使いました。そして友達とお互いのコミックスの貸し借りをしたりと、いままで以上にたくさんの漫画作品と出会えるようになりました。また漫画だけでなく、長い時間楽しめる文庫との出会いもありました。小学校低学年の頃に初めて買ったコバルト文庫は、赤川次郎の「吸血鬼はお年ごろ」シリーズ『吸血鬼のための狂騒曲』だったように思います。コミックスと同じ値段でこんなにも長く楽しめる本があるのかと、ものすごく感動しました。それでもしばらくはやはりコミックスを買うことが多かったのですが、それがある日変わることになりました。
小学校4年生の夏休みに初めて大阪を出て愛媛県松山市に引っ越したときのことです。都会と違い公園もなく、また方言も違う知らない土地だったので友達を作ることなく、毎日部屋で漫画を読む日々でした。でも友達のいない夏休みはとても長く、手持ちの漫画だけでは過ごし切れそうもありませんでした。そんな危機感を抱いたろこは、これからは読書を長く楽しめるコバルト文庫を集めようと思い立ち、すぐに本屋さんへ行きました。ところが当時の松山ではコバルト文庫をたくさん扱っている本屋さんが少なく、一旦家に帰り、見慣れない地図を片手に本屋さん巡りをしたことを思い出します。いろいろな本屋さんを巡り、時間は夕方を過ぎて夜に差し掛かっていた頃、ある大きなスーパーのなかの書籍売り場の文庫棚で見つけたコバルト文庫コーナーは本当に眩しいものでした。その日からろこのお小遣いは漫画雑誌とコミックスと雑誌『Cobalt』とコバルト文庫を買うことになりました。夏休みが開けて学校が始まると、大阪(都会)からの転校生ということでクラス全員からのいじめにあったのですが、ろこはそれを気にしない振りをしながら休み時間にはひとりコバルト文庫を読みながら過ごしていました。すると「なにを読んでいるの?」とコバルト文庫を見たことがないクラスメイト達が数人寄ってきたので、ろこはコバルト文庫のことを教え、貸してあげることによってだんただんと友達ができていきました。コバルト文庫もまたひとりで楽しむだけでなく、友達作りを教えてくれました。
小学6年生のときに大阪に戻るのですが、もともと京都生まれの大阪育ちなので友達を作るのには苦労はしませんでした。ただ、いままでは「本にものすごく詳しいひろちゃん」だったのが、さすがに都会はたくさんの本に触れることができるからか、大阪に戻ってきてからは特別目立つこともなく、普通に漫画やコバルト文庫が好きな普通の小学生に戻っていました。中学・高校も同じ土地で過ごしていたので、ひとよりもちょっとだけ漫画やコバルト文庫ティーンズハート文庫などが好きな普通の女子中高生として過ごしました。
短大に入ってからは、ろこは学費を自分で払わなければならない勤労学生だったため、ファーストフードでアルバイトをし、読書をする暇もないくらい忙しい毎日でした。朝6時に起きて学校へ行き、授業が終わると急いでアルバイト先へ行き、仕事が終わると最終電車で家に帰り、疲れすぎてお風呂の湯船に浸かりながら朝を迎えるという、本当に家は帰って寝るだけで、学校とアルバイトでいっぱいいっぱいな日々でした。そんなある日、高校時代の友達から手紙が届き、そこには篠田真由美『未明の家』、京極夏彦姑獲鳥の夏』、有栖川有栖『ロシア紅茶の謎』の本が紹介されていました。その友達の紹介文がとても素敵で、そして本の好きな友達が手紙を送ってくれてまで紹介する本なのだから面白いに違いないと、さっそく読んでみることにしました。アルバイトをしているので収入は普通の学生よりもあるのですが、その収入はすべて授業料に消えていくため、手持ちのお金のないろこは、大学図書館で購入希望を出しそこで借りて読むことにしました。このときがろこにとっての初めての講談社ノベルスとの出会いです。ただ購入希望を出して借りられたのはいいのですが、本当に忙しかったので読む時間がなくて、悩みに悩んだ結果、授業をサボって図書館前のソファーに寝転んで(図書館のソファーで寝転んでいると司書さんに「ここでは寝転ばないでください」と追い出されたのです)『姑獲鳥の夏』や『ロシア紅茶の謎』を読みました。ものすごく面白くて、ものすごく興奮しました。アルバイトが忙しくてずっと忘れていた感情「本は面白い」ということを思い出させてくれたのが講談社ノベルスでした。講談社ノベルスとの出会いで読書愛が目覚めた丁度その頃、某大型書店がオープニングスタッフを募集するという求人を目にしました。ろこは「ここだ! これだ!」と思い、いままで勤めてきたファーストフード店を辞め、その某大型書店のオープニングスタッフに応募し、採用され、再び本のある生活に戻りました。それからの日々は本当にたのしくて、素晴らしくて、あっという間の日々でした。
社会人になってからはまた仕事が忙しくなり、仕事で本を読む以外は講談社ノベルスの好きな作家の新刊を読む程度で、読書量が減りました。またここ数年は体調を崩したため、めっきりと読書をする機会がなくなりました。本に関してろこがサブカルチャーコンプレックスを抱くのは、読書をほとんどしてこなかった現在までの十数年の空白です。本当にろこは本のことを知りません。

長くなりましたが、これがろこのいままでにおける「音楽と本」の一部分です。一部分ではありますが、ろこが抱いているサブカルチャーコンプレックスを説明するには充分だと思います。ここでやっと話を始めに戻すことができるのですが、そんなサブカルチャーコンプレックスを抱いているろこにとってサカナクション山口さんが仰った「音楽を必要としない健全なひと達に届ける」という言葉は衝撃的でした。ろこは音楽が好きですし、本が好きです。でもまったくと言っていいほど音楽を知りませんし、本を知りません。知識がありません。語る言葉がありません。そのことがとても情けなくて、恥ずかしいことだと思っていました。不健全であるとさえ感じていました。こんなろこが音楽をたのしむこと、本をたのしむことは分不相応なことであると感じていました。しかし山口さんは「音楽を必要としない健全なひと」という表現をされました。そして「届ける」と仰いました。ろこはその言葉から自分の視野が狭くなっていたことに気付かされました。世の中にはさまざまなひとがいて、さまざまな物があり、さまざまな出来事があります。ひとそれぞれに生活があります。ひとそれぞれに趣味趣向があります。また趣味趣向がない場合もあります。その理由もまたひとそれぞれです。本当にひとそれぞれなのです。「こうあらなくてはならない」という縛りはないのです。そんな当たり前のことを山口さんの言葉によって気付かされました。そしてろこのサブカルチャーコンプレックスもすこし癒えたように思えます。
山口さんは「音楽を必要としない健全なひと達に届ける」と仰いました。でもろこは思うのです。もしかするといま音楽を必要としていない健全に見えるひともなにかを求めているかもしれません。音楽が必要だと感じていてもろこのようにサブカルチャーコンプレックスを抱いて苦しんでいるひともいるかもしれません。音楽が必要だと感じていても音楽に触れる環境にいなくて悲しんでいるひともいるかもしれません。そんなことを考えていると星海社『最前線』のことを思いました。こちらは音楽ではなく出版ですが、ウェブでさまざまな作家の作品をフリーでしかもDRMを廃止して公開されています。それも「あなたの「コミュニケーション」のために。」と星海社代表取締役副社長太田さんは仰っています。山口さんが仰っていることも、太田さんが仰っていることも共通しているのだと思います。あなたに作品を届けたい、あなたに作品に触れてもらいたい、あなたにたのしんでもらいたい、そして一緒にコミュニケーションしよう、そう仰っているのだと感じました。太田さんの言葉に「人生のカーブを切る出版」という言葉と、以前講談社で立ち上げられたレーベル講談社BOXのキャッチコピーに「Everything is Boxed, KODANSHA BOX. 開けるのは“あなた”です。」という言葉があります。そしていまは『最前線』という入場料無料の才能のライブステージを用意してくださりました。また山口さんは「マイナーな音楽をメジャーな音楽にのせて届ける」ことによって、サカナクションだけでなく、いろいろな音楽に触れていく可能性を与えてくださっています。いまろこたちは彼らによって音楽や本のさまざまな作品たちに出会える素晴らしい時代を迎えているのだと思います。

ただひとつ「音楽を必要としない健全なひと達に届ける」方法は音楽業界も出版業界も大変だと思います。でも届くべきところに届けるのは必要なことだと思います。音楽はデータ配信によって、パソコン、デジタルオーディオプレーヤー、iPhoneiPAD、携帯電話とさまざまな媒体で聞くことが可能です。『最前線』もいまはパソコン、iPADiPhone(ほぼ閲覧可能)で閲覧できますが、携帯電話はまだ対応されていません。本を必要としていても触れることができないひとはいます。そんなひとでもいまは携帯電話は持っている時代です。届くべきところに届けるためにも軽々しくは言えない言葉ですが、でも携帯電話でも閲覧できるようにがんばっていただきたいと思います。
これからはデジタルデータベースでCDや本などが少なくなっていくことでしょう。でもCDや本をまったく必要としていないわけではないと思います。いまデジタルでしか買えないひとでもきっとCDや本を欲しているのだと思います。そしていつか「この作品は」という出会いがあったとき、きっと買われるのだと思います。ろこはそう信じています。そのためにも届くべきところに届けていただけますよう、ろこはリスナーとして読者として応援しているので、一緒にがんばるので、がんばっていただきたいと思います。
太田さんは星海社設立記念記者会見で「文化は運動」と仰いました。サカナクション山口さんも星海社太田さんも、まさにいま新たな文化のための運動を行われているのだと思います。新しい世界は、すぐそこまで来ているのです。わふ。